トラと教師と我が家の猫



 
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  調書の概要

実の母の証言
渡部勝
調書の概要 証言者〜実の母渡部XXX
証言場所〜自宅居間
同席者〜渡部XX
調書作成者警視庁町田警察署生活安全課いまださん
口頭で聞いたのみ
調書確認日2000年3月20日14時〜14時20分
確認者3名
渡部XX
渡部XXX
渡部XX
「調書の概要」作成者・ 渡部XX
作成日時2000年3月21日
作成者注
数箇所作成者が付け加えた部分があり、実際の調書には、存在しない部分があります。
渡部勝 調書の概要
 
証言者〜実の母
 
平成12年3月20日 14時より
勝は昭和49年11月30日、宮城県仙台市で生まれました。近くの産婦人科にて正常分娩で何の異常も無
く、3,120グラム位で生まれました。夫は鉄道部品の製造・販売を手掛けている三和テッキ株式会社
(資本金4億2000万円)に勤務しております。現在は品川区の本社に勤務しております。

アラン9月29日

勝が8ヶ月になった時、夫の仕事の関係から北海道札幌市に転勤
しました。
卒業した学校は、札幌市立しらかば台小学校、
札幌市立東月寒中学校、北海道立札幌月寒高校定時制です。
小学校中学校の成績は中の下といったところでした。
高校進学については、自分の成績でも入れる不良高校よりも
色々な人々が集まる定時制を自分で選びました。

小さい頃から、わがままを言わず何も欲しがらず、そして友人も多く明るい子供でした。高校では、サッカー
をやっておりました。高校2年から高校4年にかけては「とんでん」というレストランチェーン店で、昼間アルバ
イトをしておりました。この頃から親が要求しないのに数千円の学費を毎月自分で払い、毎月2万円を家に
入れていました。本人はその事を当然の事と思っていたようです。昼夜と本当に真面目に頑張り、高校の
成績は上位クラスでした。その為、新宿調理師専門学校に推薦で入学することが出来ました。学費のうち
の約60万円は自分で貯めたなかから出しました。長男は、1993年3月20日頃には大学進学の為に川崎市

アラン9月29日

に引っ越して行きました。主人は、転勤の為に1993年の5月頃には
長男のもとへと引っ越して行きました。私は自宅の売却が終わった
ので、12月には、川崎へと引越しました。
勝は、高校の卒業式まで知り合いの家に少しの間下宿しました。
卒業式では精勤賞をもらいました。卒業したのは、1994年です。
新宿調理師専門学校を卒業した後は、かっぽう料理店の菊正に
就職しました。しかし、勝にはあわなかったみたいで半年程で辞め
てしまいました。

その次は、町田にある寿司店でアルバイトを始めました。途中から正社員になりました。勤務終了時刻は、
深夜1〜3時に及びました。半年後、体を壊してしまいました。回復した後にアルバイトとして復帰しました。
町田の寿司店で働いていたのは1年半程になります。
1997年6月、突然池田動物プロダクションでアルバイトすると言い出しました。新聞の求人募集を見て知っ
たようです。本人は必ず採用されると確信していたようです。家では長男が買って来たうさぎを飼っていたの
ですが、世話は私ばかりがしておりました。動物にそれ程興味があるとはその時初めて知りました。
後に30倍の倍率だったと話しておりました。勝は38度以上の熱があっても、親の言うことを聞かずに
アルバイトに行くような子でした。親の私が言うのもなんですが、真面目で責任感が人いちばい強い子でし
た。そして、心優しく穏やかで、自慢の子供でした。調理師の免許を持っているのに、なぜそんな仕事を
するのかと私はさんざん反対しました。勝は主人が60歳になったら調理師に戻るからもうしばらく見ててと
言っておりました。専門学校卒業後のひと月の給与は、平均して12〜13万円といったところでした。
そのなかから、毎月3万円を家に入れていました。仕事の内容は動物にエサを与えたり、掃除、犬の散歩
と、汚い仕事がほとんどで、指はさかむくれ、手足は傷だらけの状態でした。
飼育所でトラを飼っている事は知っておりました。しかし、詳しい事はわかりませんでした。
池田動物プロダクションでは、9時頃から5時まで働いておりました。帰宅するのは6時過ぎでくたくたに疲れ
て帰ってきましたが、いつも楽しそうで充実しているようでした。疲れているので8時か9時には2階の自室に
引き上げて行ってしまいました。2月2日の日は、飼育所から戻って来た時にかなり具合が悪そうでした。
熱を測らせたら39度を超えていました。明日仕事に行ける状態ではなく、休みを取る様に子供に言いました
が、明日は社員の沼田さんも井上さんも朝早くテレビ局に出掛けるとの事。新人アルバイト一人になり、
とても無理という事でした。本人は、明日は絶対に休めない熱は気合で下げると言っておりました。
更に自室で携帯電話を使って山崎さんに午後から出て来て欲しいと
お願いしたといっておりました。私は気をきかせて沼田さんに電話をしました。沼田さんは少し困った様子で
したが、そんなに熱がひどいのなら仕方が無いといった感じでした。(作成者:沼田さんはこの時、明日の
様子で決めましょうといいました。2月2日の時点では、母はあまりいい返事はもらえなかったといっておりま
した。母は記憶が多少混乱していたので、細かい部分は真実と違います。)
私は、2月3日の朝に勝の熱が下がらない場合には何としてでも休ませるつもりでした。2月3日の朝には勝
の熱は、37度を少し上回る程度にまで下がりました。勝はおねえさん達では、何とかと言って仕事に出て
行きました。私は週2〜3日程、森野2丁目にある体の不自由な人をお世話する仕事をしておりますので
出掛けました。1時頃、仕事場に自宅にいる長男より電話がありました。勝が職場にてトラに噛まれて
大ケガとの事でした。麹町の池田動物の本社に電話連絡がとれず、町田飼育所に電話しても連絡がとれ
ず、途方にくれて頭も錯乱状態でした。ふと、110番に電話をしました。状況を説明すると、町田警察署の
電話番号を教えてくれました。すぐに町田警察署の刑事さん2人が迎えに来てくれて、1度町田警察署に
寄った後、町田飼育所に乗せて行ってくれました。現場に着きましたが、町田飼育所の周りは大勢の
警備隊の人で取り囲まれており、勝はまだトラの檻の中にいるとの事。私は車から出してもらえず、
時間はわかりませんが長い間車の中で待たされたような気がします。
私は車の中で勝はもうだめなのかなという覚悟はしていました。何時頃でしょうか、ようやく勝は救出され、
救急隊の方がお顔を御覧になりますかと言ってくれました。簡易ベットに横たわっている勝をゆすってみまし
た。何度も何度もゆすってみました。顔に触れるともう冷たくなっていました。
池田動物プロダクションの社長は近くに立っておりました。私はそばを通るときに社長に向かってどうしてこ
ういう事になるんですかと言って食ってかかったような気がしますがよく覚えていません。私は別の車に乗っ
               
て救急車の後について 多摩丘陵病院へと向かいました。病院では、ベットに横たわった勝には生命維持
装置が全く付いていませんでした。テレビでは勝の事が盛んに報道されておりました。トラにエサを与えた
り、掃除をしたりする時は、トラと一緒の部屋で作業することなど無いという事でした。私はそんな事は初め
て知りました。なぜ勝はトラの檻に倒れていたのでしょう。池田動物プロダクションの社長と沼田さんを厳重
に処罰して下さい。お願いします。
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